賃金切下げと賃金カット
賃金の切下げ
賃金を切下げるには、労働者の同意が必要
賃金は、労働契約の中でもっとも重要なものです。
したがって、合理的理由と労働者の同意がないかぎり、労働者にとって不利益となる変更は許されません。
このため、通常は就業規則の変更手続等によって、賃金切下げなどが行われることになります。
正規の手続きにより行われた変更が、「合理性がある」と認められれば、同意しない者に対しても、変更後の労働条件を適用することができます。
関連事項:労働条件の不利益変更→
労使のトラブルを防ぐためには、労働組合があれば、よく話し合って合意をとることが必要です。組合がない場合は、個々の労働者の了解が求められます。
一方的な変更は無効であるとの判例も多数でています(例:チェースマンハッタン銀行事件)
東豊観光事件 大阪地裁 平成13.10.24
就業規則や乗務員給与規則上の根拠を欠く基本給や手当の一方的減額措置が無効であるとされた。
更正会社三井埠頭事件 東京高裁 平成12.12.27
管理職の賃金の20%減額の承諾について、自由な意思に基づく承認であるとは認められないとされた。
チェースマンハッタン銀行事件 東京地裁 平成6.9.14
業績悪化を理由として賃金引下げをしようとしたが、裁判所は不利益な変更はできないと判断した。
本件賃金調整は、被告の業績悪化に対応するための本件合理化の一環として実施されたものである。
なるほど、昭和60年代以降の全世界的な規模での金融界の再編成を発端として、銀行業務をめぐる環境が厳しくなり、被告の資産内容も平成元年度以降急激に悪化し、同年末の被告の資産規模は全米で第2位であったのにもかかわらず、時価総額で大手10行中最下位にまで転落し、被告の信用度の格付けも昭和59年度には最上位のトリプルAであったものが、平成2年9月には最下位寸前にまで転落し、このまま放置すれば買収、合併の危機が懸念されるまでに至ったというのであるから、これに対処するために経費削減を図るという本件合理化は、被告の経営方針として被告が自主的に決定し、実施すべき事柄である。
しかしながら、本件合理化の一環としての本件賃金調整は、各原告の賃金を被告において各原告の同意を得ることなく一方的に減額して支給するという措置を実施するものであって、各原告の賃金基準は原告らも所属の労働組合との間の労働協約によって定まっていたというのであるから、この内容は各原告と被告との間の労働契約内容となっていたといえる。
ところで、労働契約において賃金は最も重要な労働条件としての契約要素であることはいうまでもなく、これを従業員の同意を得ることなく一方的に不利益に変更することはできないというべきである。
この意味において、本件賃金調整は、被告が各原告の同意を得ることなく、一方的に労働契約の重要な要素を変更するという措置に出でたのであるから、何等の効力も有しないというべきであり、このことは、本件賃金調整に被告主張の合理性が存したとしても異なることはない。・・・・・
・・・・・被告は、使用者は企業再建のための必要性が認められる場合には整理解雇をなすことが認められているのであるから、これを回避するための本件賃金調整措置は就業規則に明文の規定がなくとも否定されない旨主張する。
なるほど、使用者は解雇権の濫用にわたらない限り労働者を解雇することができる(民法627条、労基法20条)が、このことは、当事者の一方に継続的雇用関係を長期間拘束することは不当であることから認められているのであって、本件賃金調整とはその趣旨、要件、効果が全く異なり、これを単純に比較して、前者が認められるからその後者も認められるべきであるとすることには論理の飛躍があって、到底肯認することができない。
ましてや本件賃金調整は、前述したとおり、労働契約内容の賃金という重要な要素を各原告の同意を得ることなく一方的に変更するのであるから、明確な根拠を有しなければならず、使用者は労働者を解雇する権利を有することをもって、この根拠とすることはできない。
単に「仕事が減ったから」「業績悪化のため」というのでは、合理的理由とはいえないので、納得がいかなければ同意できない旨、意思表示します。
賞与についても、就業規則に「○ヶ月支払う」と記載されている場合、合理的理由と労働者の同意なしでは、勝手に削減することができません。
退職金については法的な定めはありません。
しかし、日本では支払うという社会慣行がありますし、就業規則に退職金規程がある場合には、賃金の一部と見なされます。
規程がなくても、口頭で約束した場合や、過去の退職者に支払われていた場合は、請求権が発生します。
定期昇給については、慣行として確立されているかどうかがポイントです。
高見沢電機製作所事件 長野地裁上田支部 平成16.2.27
給与規程では「昇給は年1回、3月21日定期とする」と定められていた。
会社経営陣は、定昇を拒否したが、従業員は労使慣行であると主張。
裁判所は、具体的昇給基準が定められていない以上、会社に昇給実施義務はなく、労使慣行も法的拘束力は認められないとした。
なお、経営面から留意したいのは、人件費コストの削減に目が向きすぎて攻めを忘れると、縮小均衡=減収減益のサイクルに陥ってしまうことです。守りのかたわら、新製品開発などの攻めも決して忘れるわけにはいきません。
関連事項:年俸制→
不利益の緩和措置が必要
賃金制度の改定により、労働者の一部が不利益をこうむる場合は、その緩和措置が必要とされています。
NTT西日本事件 大阪高裁 平成16.5.19
55歳に達した者を例外なく特別職に移行させたうえ、新給与制度を適用させた。
第一審 京都地裁 平成13.3.30
就業規則の変更について、書面配布等により周知されているので、労基署への届出がなくとも、無効理由にはならない、としていた。
上告審 大阪高裁 平成16.5.19
裁判所は就業規則の数値義務が十分果たされなかったとして、その拘束力を否定し、賃金等656万円、696万円の支払命令が出された。
みちのく銀行上告事件 最高裁 平成12.9.7
役職定年制度の導入と専任職の新設に伴う、55歳以上の行員の給与削減を内容とする賃金体系の変更が行われた(本件では、基本給の約半額を占める業績給の50%削減、3~12万円の役職手当・管理職手当のカット、及び賞与の減額)。
最高裁は、若年、中堅層の労働条件の改善を図る一方で、高齢者の賃金を削減するのは、特定の層の行員にのみ賃金コスト抑制の負担を負わせているものといわざるを得ず、負担も大幅であって、不利益を緩和するなどの経過措置を設けることによる適切な救済措置を併せ図るべきであると判断し、不利益を受忍する相当性はないとして、原判決を高裁に差し戻した。
八王子信用金庫(控訴)事件 東京高裁 平成13.12.11
会社は不良債権償却、同業者と比して高水準にある人件費・物件費、中高年職員の大幅増加などの状況から、高齢者の人件費を削減しようとした。かかる状況について認めた上で、裁判所は次のように判断した。
本件就業規則変更により被る55歳時年度以降の職員の不利益の程度についてみると、1年平均の本給額(平均年収額)は、54歳時年度の本給額を100とした場合、最大で21.3%の減少となる。それを選択しなかった場合は、57歳時から一挙に50%に減額される。この変更について、一定期間は賃金の削減割合を小幅にする等の経過措置はなく、労働者に法的に受忍させるだけの法的規範性を認められない。
したがって、賃金の差額の支払いを求める控訴人らの請求には理由がある。
思想信条による差別は許されない
次の実態があれば、使用者に思想信条による差別行為があったと推定されてしまいます。
- 会社に一定の思想を排除する状況が存在していること
- 年功序列的賃金制度がとられていること
- 一定の思想をもつ者の賃金が一般の従業員と比べ著しく低いことなど
これに対し、会社が次の証明ができれば、差別はなかったとされます。
- 差別を受けたと主張する労働者の勤務成績が劣悪であること
- 能力向上の意思がないために人事考課・査定が低位になされたこと
東京電力(群馬)事件 前橋地裁 平成5.8.24
特定政党支持者に対する、職給・資格・職位・賃金などの処遇差別をし、政党員であることを辞めるように強要し、公友制限等の人権侵害などを受けてきたとして、慰謝料300万円の支払を請求。
裁判所は、差別により賃金が低額に抑えられていることを認め、慰謝料240万円および弁護士費用24万円の支払いを命じた。
賃金引下げへの環境整備
従業員の賃金引下げが第三者から見ても「客観的に合理的な理由があり、社会的に相当性がある」といわれるためには、それ以前に見直すべきコスト管理が必要です。
例えば、以下のようなことが挙げられます。
- 不良在庫を減少させる
- 残業時間の正確な管理
- 新規採用を控える
- 非正社員化に努力する
- 業績にあわせた賞与
- 経営責任の明確化
- 役員報酬のカット
- 希望退職者の募集
そこまで努力してから、具体的には次の作業に移ります。
(1) | 具体的に会社の状況と原因を数字にしてわかりやすく労働者に説明する。 |
(2) | 克服すべき課題を具体的に示し、今後の見通しを示す。 |
(3) | 行おうとする賃金引下げの方法と、額を具体的に明示する。 |
(4) | 個別に相談する。 |
日本ニューホランド事件 札幌地裁 平成13.8.23
労使で構成される経営協議会の決定により55歳に達した月から一方的に給料が減額されることとなった。これは就業規則と同等と扱われるべきではないとして、提訴。
裁判所は給与と賞与の差額合計354万円の支払いが必要だと判断した。
賃金カット
月給制の種類
賃金カットの取り扱いの違いによって、月給制にも種類があります。
(1) | いわゆる「完全月給制」 | 欠勤してもまったく賃金カットしない。 |
(2) | いわゆる「日給月給制」 | 欠勤に応じて賃金額をカットする。 |
欠勤による賃金カットを「欠勤控除」ともいいますが、この場合の「控除」は、労働組合費とか社宅料とかの「控除」とは種類が異なり、もともと労働者に請求権のないものを支払わないだけのことですから、控除協定を結ぶ必要はありません。
欠勤時間以上の賃金カットは、減給処分として行う
30分の遅刻に対し、30分相当の賃金をカットすることは当然認められますが、5分の遅刻に対し、30分の賃金をカットすることは「賃金の全額払いの原則」に抵触します。
ただし、制裁としての「減給処分」にあたるとして、労働基準法91条の範囲内での賃金カットは、可能です。
四捨五入方式で、30分未満をゼロとし、30分以上を1時間として控除することもできますが、就業規則に明記しておく必要があります。ただし、この方式では29分までの遅刻は「休み得」になります。
関連事項:降格・減給→
賃金カット額の計算方法
月によって休日が多く勤務日が少なかったり、逆に祝日が少なく出勤日が多くなったりすることがありますし、2月のようにもともと日数が少ない月もあります。
このため、欠勤1日につきカットする賃金を同額としたのでは、不公平が生じることになります。
こうした場合の計算方法は法律に規定はないので、最も合理的なものを採用することになります。
割増賃金の計算方法を準用する
労働基準法施行規則19条による割増賃金の計算方法を賃金カットにも準用する方法があります。
これは、1年間における1か月平均の所定労働日数を算出し、これで月給額を除した額を1日に対するカット額とする方法です。
もっとも公平な方法だといえますが、これにも限界があります。
仮に1年を平均した月間所定労働日が21日だったとして、現実の労働日が22日の月に5日出勤(17日欠勤)した場合に、元の給料月額から欠勤分を差し引くとすると、
賃金支給額=
月給-1日の平均賃金カット額×17日分=4日分(1日の平均賃金カット額)
逆に、現実の労働日が22日の月に4日出勤(18日欠勤)した者に対し、出勤した日に応じた賃金を支払うとすると、
賃金支給額=
1日の平均賃金カット額×4日分=4日分
となり、違法とはされませんが、欠勤日数が異なるにもかかわらず、支給される給料は同額という不自然な結果となります。
その月の所定労働日に応じて計算する
年次有給休暇に応じた賃金の支払い方法を規定した労働基準法施行規則25条を準用し、所定労働日が22日の月は22分の1を、20日の月は20分の1を、賃金カット額とする方法です。
賃金カット額は、月によって上下することになりますが、前述のような矛盾は生じてきません。
所定労働日の一番多い月の日数を基礎とする
たとえば年間でもっとも出勤日が多いのが6月の22日であるとすれば、いつも22分の1を賃金カットの基礎額とするという方法です。
これならば、賃金の全額払いの原則に触れることはありません。
欠勤1日につき30分の1を控除する方法なども、これと同様です。
ただし、欠勤が多く、出勤した日数が極めて少なかった場合、どうするかが問題となります。
修正カット方式
逆転現象が生じないようにしつつ、賃金カット日数を調整する方法です。
たとえば、月の平均所定勤務日が21日で、当該月の所定勤務日が22日の場合、切り替え日を作ります。
出勤した日 | 欠勤した日 | 賃金支給日数 |
---|---|---|
・ ・ ・ |
・ ・ ・ |
・ ・ ・ |
10日 | 12日 | 9/21 |
9日 | 13日 | 8/21 |
8日 | 14日 | 7/21 |
7日 | 15日 | 6/21 |
6日 | 16日 | 5/21 |
5日 | 17日 | 4.5/21 |
4日 | 18日 | 4/21 |
3日 | 19日 | 3/21 |
2日 | 20日 | 2/21 |
1日 | 21日 | 1/21 |
0日 | 全休 | 0 |
変形労働時間制を採用する場合
賃金カットによって生じる矛盾は、1年間の変形労働時間制を取る場合、さらに顕著となります。
したがって、事前に十分に対応を考えておく必要があります。
関連事項:1年単位変形労働時間制→
年俸制を採用する場合
年俸制は月々の労働に対応して月給が支払われるものではありません。年額を12分割して月額とするものですから、欠勤控除も割増賃金の計算方法を賃金カットにも準用する方法が適当だと思われます。
ただし、年俸額を16分割して夏冬のボーナス代わりに2ヶ月ずつ支給するといった日本的年俸制がよく見受けられます。
割増額同様、通常の月給制とは取扱いが異なりますので、注意が必要です。
関連事項:年俸制適用と平均賃金等の算定→