賃金体系変更の判断ポイント

純粋な人事制度の改変か、労働条件の一方的切り下げか

近年、従業員の高齢化や国際レベルでの競争の激化等により、年功を重視する賃金体系を改め、業務内容や成果を反映する人事・賃金制度に改訂する動きが強まっています。

多くの労働条件の一方的不利益変更の問題は、その「不利益性」が明確であるのに対して、賃金体系の変更問題は必ずしも「不利益性」が明確にいえない点にその特徴があります。

すなわち、

  1. 新賃金体系への変更により減収することが予想される場合、将来の賃上げの期待を侵害されたことを不利益といえるかどうかが問題となります。
  2. 査定により昇給が決まるので、その時になってみないと実際減収となるか、不利益になるかどうかは分からないという問題があります。

この能力主義賃金体系への移行は、とりわけバブル崩壊以降の経済的混迷状況のなかで多くの企業が押し進めているものと思われます。

なお、成果主義賃金制度といって顕在化された能力である成果や業績に主眼をおいて処遇をとらえ、人事考課の方法として目標管理制度を通した成果の評価という手法があります。

この場合も、同じ能力主義の考え方で対応できると考えられます。


情報の開示があったかどうか。

能力主義賃金は使用者の査定で賃金が決まりますが、他方「労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきもの」(労働基準法2条1項)です。

労働者が自らの労働条件を対等の立場で決定することを制度的に保証するためには、労働条件の決定方法が、つまり能力主義賃金制度の下では従業員に査定に基づく賃金決定の仕組みが明らかにされていなければなりません。

ところが、しばしば査定に関する事項はブラック・ボックスに入れられたまま、評価の基準や賃金額の決定等は使用者に白紙委任されているものが多いようです。これでは、対等決定など望むべくもありません。

労働条件の対等決定を制度的に担保するためには、使用者は、第1に、シミュレーションなどを用いて新制度の仕組み、新制度と旧制度との相違を従業員が理解できるよう十分に説明する必要があります。

また第2に、査定が恣意的に行われることのないよう、その基準・運用方法などを明らかにする必要があるでしょう。

判例では、裁量権を濫用して個人的な恨みや報復等不当な目的で査定を行うことは許されないとされています。(ダイエー事件 横浜地裁 平成2.5.29など)

そもそも、使用者が一方的恣意的に昇給昇格などを決定できるとする制度は、労働条件を労使対等の立場において決定すべきものであるとする労基法の考え方に合致しないといえるでしょう。

以上のように、査定制度のように、その運用の如何によっては賃金が大幅に増減する場合には、使用者には制度の仕組みや格付けなどに関する情報を開示する義務があり、これを欠く場合には労働基準法2条1項に違反するといってよいでしょう。


不利益となるかどうか 標準的な査定

使用者により開示された査定基準・賃金額に基づき不利益が発生するか否かが問題となります。

不利益は、1つは、賃金原資が減少することによるもの、もう1つは、配分の仕方の変更により賃金が減額されることによるものの、2段階で考えられます。

賃金原資の減少が、ある従業員にとって不利益になるとは一概にはいえません。

しかし、配分の仕方の変更は、ある者については利益となり、ある者については不利益となります。

この場合、どの従業員を基準として「不利益性」を考えればよいかが問題となります。

ところで、能力主義的賃金制度は、通常、成績給など査定により昇給昇格が決定される部分の割合が賃金の大きな部分を占め、査定は幾つかのランクに別れており、最高ランクと最低ランクとでは、月例賃金、一時金、退職金などで大幅な格差が発生するものです。

この場合、査定により昇給が決まるので、その時になってみないと不利益になるかどうかは分からないともいえますが、標準的な査定を受ける者が旧賃金体系をとった場合と比較して減収となる場合には不利益に変更されるものと考えてよいでしょう。

関連事項:労働条件の不利益変更


無理な営業目標により問題が起こったときは、会社にも責任がある

会社の融資実績を上げるために、紹介屋(文書偽造等を行って借主を紹介)によるものと承知の上で貸し付けを行い、結果、会社に損害を与えた従業員に対する裁判において、裁判所は次のように言っています。

株式会社T(引受債務請求等)事件 東京地裁 平成17.7.12

消費者金融会社における内規に反する紹介貸付による貸付金について、元従業員の雇用契約上の債務不履行及び不法行為による損害賠償請求につき、信義則等を理由に認容額を損害額の1割に限定した事例。

企業において、営業目標を社員に示し、その達成ができるよう、社員を督促、激励し、あるいは成果に応じた人事の体制を作ること自体は責められるべきことではないが、原告におけるそれは、・・・事情に照らすと行きすぎたものになっていたと言わざるを得ず、これが社員に対する過度な圧力となり、・・・貸付基準に違反する行為に走る社員を生み出したという意味では、原告(※会社側)においても本件違反行為の原因の一端を形成したと評価されてもやむを得ないというべきである。

成果主義で手取り月2万円 社員の訴え、和解し制度改正

成果主義で給与が大幅に減り、手取りが月約2万円になった富士火災海上保険(本社・大阪市中央区)の男性社員(53)が、従来通りの額の支払いを求めて法的手段に訴えた結果、同社と和解して解決金が支払われた。

同社は併せて給与の最低水準を引上げる制度改正も決めた。

男性は昨年7月、東京地裁に賃金支払いの仮処分を申し立てた。

前月に口座に振り込まれた手取り額が2万2,632円しかなかったため、「生存権を侵し、憲法に違反する」と訴えた。

そうした事態を招いたのは富士火災が00年に導入した新しい給与体系だ。

歩合制で営業成績が上がれば翌月に「増加手当」が支給され、下がれば翌年度の給与から一定額がペナルティーとして差し引かれる。04年には家族手当や住宅手当が廃止された。

男性の6月の給与は本給と諸手当の計約19万円からペナルティー分の約7万4,000円が差し引かれ、額面約11万5,000円。

ここから社会保険料などが引かれ、実際に口座に振り込まれたのは2万2,632円だった。

男性は「これでは死ねと言われているに等しい」と、直前3ヶ月の給与の平均額(額面約22万円)の支払いなどを求めて仮処分を申請した。

富士火災側は

(1)6月には別に臨時給与(手取り約12万円)も支払われており、直ちに生活が脅かされる状況ではない

(2)新しい給与制度は多数派組合の同意の上で導入された

――などとして全面的に争う姿勢を示した。

男性には妻と長男、長女がおり、係争中は労組からの借り入れや預金の取り崩しでしのいだという。

男性が仮処分を取り下げ、本訴訟の提訴を準備していた11月になって和解が成立した。

男性の代理人の萱野一樹弁護士によると、和解は

(1)富士火災が解決金を支払う

(2)営業系の全社員を対象に最低賃金法に定める最低賃金の1.4倍以上を支払う

――との内容。(2)が適用されれば男性には最低でも額面で14万円程度が支払われるという。

(asahi.com 2006.1.21)


高度の合理性・必要性があるかどうか

不利益を労働者に法的に受忍させることができるだけの高度の必要性に基づいた合理的な内容のものであるかどうかが問題になります。

管理職か一般職か、正社員か臨時従業員(アルバイト)かといった違いが、合理性・必要性の判断に影響を与えることになると思われます。

また、この高度の合理性・必要性については、使用者側に主張・立証責任があると考えられています。

ハクスイテック(控訴)事件 大阪高裁 平成13.8.30

年功賃金制度を改定し、能力・成果主義を導入したケース。大阪地裁(平成12.1.28)では、労働者側敗訴。高裁も控訴を棄却した。

会社は赤字経営であり、賃金制度改定の必要性があったことが、合理的理由として採用された。

メディカルシステム研究所事件 東京地裁 平成11.9.21

会社は、特定の労働者に対し残業非協力等を理由に「標準的」と評価しなかった。

裁判所は、残業に協力的か否かは、会社への寄与度・貢献度の点で大きな差があり、人事考課の対象とすることは合理性があり、差別にあたらないとした。


代償措置はあるか

不利益を緩和する代償措置がとられた場合には不利益変更が認められやすくなりますが、代償措置はあくまでも付随的な事情として判断されることになります。


労働組合との交渉はどうだったのか

労働条件の不利益変更の場合には、実際の労使交渉の手続やプロセスが特に重要になります。

太陽自動車・北海道交通(便宜供与廃止等)事件 東京地裁 平成17.8.29

3つの労組が併存する状況下で、その1つとの賃金協定締結が激しく対立した(併存組合は同意)。

会社側提案は、賃金体系における営業収入による歩合制部分を強化し、足きり額(それ以上だと賃率が63%、未達成だと48%)の51万6千円(←当時44万円)への引上げ、クレジットカード決済機の導入などを提案した。

9回の団体交渉、6回の対角線交渉が持たれたが、妥結に至らず、会社は、当該組合に交渉権を委任した乗務員に夏季一時金を支給しなかった。このことは、組合員の半減や交渉委任乗務員の110名→10名への激減を招いた。

組合側は北海道に赴き、会社提案を飲む条件として、見直し等についての合意成立をもって闘争終了とした。しかし、会社側はこの合意を否定した。

組合は、当該会社及び実質的に一体である交運(協同組合)・その理事を訴えた。

裁判所は、組合側が合意文書だとして提出した書面について、当事者の表示もなく、被告理事の書面捺印もなかったことや、その後の会社主張や組合内部の対応等から、これを法的拘束力をもつ債権債務の内容と見ることは困難であるとした。

したがって、会社等は、不法行為ないし債務不履行責任を負っていないと判断した。

なお、同裁判で争われた各種便宜供与(会社会議室使用、チェックオフ、組合掲示板等の貸与、組合事務所の賃料肩代わり、在籍専従者の社会保険料負担)の中止・廃止措置については、不法行為に該当するとされ、200万円の支払が命じられている。

従業員の多数を組織する労働組合との間に交渉、合意を経て労働協約が締結されたときには、「変更後の就業規則の内容は労使間の利益調整がされた結果としての合理的なものであると一応推測することができる」と考えられるとしています。(第四銀行事件 最二小判平9.2.28)

これに対して、企業に従業員の多数を代表する労働組合がない場合、多数を代表する労働組合があり交渉・合意があったとしても特定のグループのみを能力主義的賃金制度の対象とする場合、高齢者、女性やパートタイマーといった一部のグループのみが変更により制度上特に不利益を受ける場合、そのグループの意見を聴き、その利益に配慮したかが問題となります。


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